第3回例会特別討論会2003.2.6
テーマ:「服薬ケアを語る!」
於:栃木県宇都宮市内

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目次
服薬ケアとはどんなか?
薬局・医薬分業のメリ
社会性にいて
「これ服薬ケアか!」
薬剤師名制
服薬ケの失敗例
自分とき合う
研究会へ期待


チューター:それぞれ思ったことを自由に言っていただいて、その中で共通するものや実践していく上で必要なものなど、あまり考えずに、思ったことを言っていただければと思います。

服薬ケアとはどんなものか?
文書の先


チューター:まず、ご自身が「服薬ケア」とはどんなものと捉えているかをお聞かせください。

参加者A:患者さんにより良い医療をうけていただくためのお手伝いをするにあたっての概念。「この方に対して何ができるのだろう」を考え、患者さんの外も中も薬剤師である私が受け止めることが「服薬ケア」を実践すること。

参加者B:薬剤師道。患者さんの満足度を上げる。患者さんに提供したいのは薬そのものではなく、安全で有効な薬物療法を患者さん自身が、自分で出来るようになるように応援するのが薬剤師の仕事だと捉えている。それを達成するために必然的なことと「服薬ケア」が合致する。マニュアル通りには行かない(型はない)何度もやり取りの中で患者さんに成長していただけるようにアドバイスを続けていく。信用第一。

チューター:その中で服薬ケアを実践して行く上で実際に「やること」とは?

参加者B:信用づくり。役に立つこと、本気になること。これらが伝わったときに信用に変わってくる

参加者C:癒し。21世紀は心の時代。患者さんの持つ病苦、症状苦を薬物治療にかかわりながら癒す。患者さんが、薬に対する不安があったときには、それを取り除く。そして疑問があったときには、なるべく患者さんの希望に沿った答えを探す。「服薬ケア」を実践して、患者さんの言葉の裏に隠れた本当の不安を見つけて、解消して差し上げることができたらと思う。

参加者D:「服薬ケア」は、薬剤師が医療を行う上で、至極当たり前のことを言っていると思う。患者さんとどう接していくのか、自分たちはどういう気持ちで仕事をして行かなければいけないのかとう考え方や、世の中になぜこの職種(薬剤師、薬局)がありどのような存在意義があるのか?を考えるのが「服薬ケア」。

参加者E:薬剤師の提供するべき医療の方向を示したもの。つまり、「服薬ケア」の中で、薬識と、POSと、コミュニケーション技法は並列ではなく、薬識をケアするために、POSとコミュニケーション技法の二つが必要という、二段構えになっているのではないかと捉えている。

   薬識 
    
 POS ←→コミュニケーション技法

参加者F:医療に対して相談相手として1stチョイスしていただけるような、患者さんにとって頼りになるサポーター。医師には本音の部分を話せない時でも独立した薬局で本当の意味での患者との関係を構築して情報収集する。患者さんがどう思っているか考えていく、意識を持っていく。 



薬局・医薬分業のメリット
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チューター:まず、「服薬ケア」に行く前提として、医療に於ける薬局のメリットについて。医薬分業のメリットを明確にしていって、「服薬ケア」をやらなくてはいけない理由を考えてみます。

参加者D:同じ相談する場合でも、院内だと患者さん側に「ここで言ってもいいのかな?」という心理が働くのでは?一旦外にでればそれがないと思う。また、処方箋なくても何か相談あればいつでも訪れることが出来る薬局はフリーアクセス。ちょっとした不安、健康に対する疑問に答える。
また、患者さんに対し、薬を通じてどう良くなって欲しいか追求する。薬剤師はさすったり注射をしたり、ではなく言葉で患者さんに対しケアしていく。患者さんに対して良い影響を及ぼすようなことをして行きたい。そのためにはコミュニケーション・信頼関係。患者さんに話していただけなければ我々は何も出来ないし、話していただいたことに対しては的確に答える引き出しを増やす。

参加者B:服薬ケアとほぼ同じものは院内でも出来る。でも、外にあることは敷居が低いのがメリット。でも患者さんには独立した機関という意識はない。医薬分業が過渡期だから。
例えば院内薬局では、相談範囲に限界が生じないか?ということは、薬局の「独立性」っていうのが、現実としてある。信用を積み重ねて行って、あと何年か経ったときに、院内薬局と普通の独立薬局とで、患者さんは好きなところを選べばいいと思う。そのときに選んでもらえる薬局は、こういうことを真剣になって今から取り組んでいる所だろう。
医薬分業の制度がなぜあるか?は処方の適正について院内の人だと、本当に「違うよ」と強く言えるのか?院内で関係者の薬剤師と、まったく関係ない薬剤師とで、「じゃあどっちを選びたい?」と言ったら、あのフリードリヒ2世と同じ回答が出てくると思う。今は過渡期なのでメリットは生かされていないがデメリットばかりでもなく分業の方がチーム医療を考えたときにマンツーマンが関係を作りやすい。

参加者A:院内のデメリットは待つことで日本の分業が進んできた(初期)。院内ではいやがおうにも薬をもらわないといけない。院外では患者は処方箋を薬に変えなくても良い自由が与えられた。

チューター:その変えなくても良いという自由はその人にとってどんなメリット?

参加者A:医師の治療に対する疑問。「なぜこの薬が私に?でも医師との関係は維持させたい。」そこに何かがある。そこに我々が係わることができれば、それが分業のメリット

参加者B:医師との関係は維持したいが薬は飲みたくない、というような患者の考えが正しいのか正しくないのか。そのような判断力を高めてあげて適正な方向へ導くアドバイスが出来る。患者教育。

参加者D:処方箋を薬に換えない人は、心の中に何かあるはず。例えばその地域の方や知り合いの方と、我々薬局とのつながりが出来て、そこからまたネットワークとして、今まで薬もらってなかった人が「じゃあ、ちょっと一回話を聞いてみようか」というようなきっかけ作りはできると思う。
結局は、今、処方箋を持ってきていただいている方に対して、いかに「あそこの薬局に行けばすごく満足して帰れるか」というところで、「患者さんへの教育」に関しても、正しい選択や判断が出来ると、患者さんも満足されるだろう。



社会性について
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参加者B:薬剤師のライセンスは「スタートしても良いですよ」という意味で渡される。「免許を手にしたところで完成」では絶対ない。そこから知識や経験を積み重ねていく。でもそれ以上に薬剤師は社会性が足りない。人と話す時には、「こんなことを言ったらば気分は悪くならないかな」とか、いろいろ考えながら人間関係をやっているのに、例えば「薬歴書くための質問、薬剤師だから質問するのは当然」のように人間関係を度外視して、「聞くのは仕事だから」としてしまうから誤解を招く。相手の気持ちを考えていないからぎくしゃくする。嫌いな人のアドバイスは聞かない。信頼している人に言われるから気持ちが変わる。これが社会性。

参加者A:一生懸命「指導」すると、目的がそこにはない。「この処方でこの薬が来たから、このことを言わなければならない」というだけで、「じゃあどうする」っていうのがない。

チューター:「指導」が悪いのではなく、何で・何のために、どうなってほしいから指導するのか、が現行の服薬指導には足りない。

参加者A:「コンプライアンスが悪いですね。だめです。」などではなく、「服薬ケア」を考えるときには、「じゃあ、その血圧が高い人のコンプライアンスが悪いのは何で?」から始まって、「どうなったらこの人にとっては最高なんだろう」を考える。そのためにも、社会性は必要。その人の背景を見なければならないから、薬剤師は社会人としての経験を知っていないと。

チューター:服薬ケアの理論は意識して言葉としては出していないが社会性とか社会学といったものが含まれている。薬識も。で、社会性の足りない薬剤師をどうしましょう?

参加者B:本来、家庭や学校で得てくるべきもの。また薬剤師とは社会性がなかったら出来ないはずの仕事。でも足りない。

チューター:では、薬剤師はなぜ社会性がないと出来ない仕事なのでしょう?

参加者B:人とかかわって行くとき相手を思いやるのがコミュニケーション技法。(薬剤師法)25-2が出来てから「情報提供しなければならない」という一文が入ったために「何とかしなきゃ」になったが、そんなことやったこと無い。「さあ、どうしよう?」でアタフタして10年続いている。

チューター:医療法に薬剤師が医療の担い手として加えられたことに対しては、これとの関連は?

参加者B:医療の担い手とかかれてしまったことの認識がまだ出来ていない、それだけ責任が重くなったと気づいていない人の方が多いのでは?

参加者D:人の命に関わる仕事をしている人が、条文に入った、入っていないで認識を新たにするとか、考え直そうと言うのではなくて、もうライセンスをもらった時点、いや薬学部に入る時点、入る前から、「自分は何をしなくちゃいけないんだ」というところを、本当はきっちり考えた上で仕事をしていかないと。


「これが服薬ケアか!」
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チューター:もし服薬ケアを学ぶ前だったらここで済ませていたかもしれない。でもそこに意識が行くようになってこんな風にできた、という例はありますか?

参加者A:皮膚科受診の小児。足の裏が水虫のようで痒がっている。5%サリチル酸ワセリン処方。「痒み止めは薬局で買ってください」と言われた。母親のまったく納得していない表情へ着目。
サリワセを「こう使ってください」という服薬指導ではなく、「Drは『心配いらない症状でかゆみも一時的なもので薬も要らないでしょう。もしかゆければムヒなどつけても良いですよ。』という意味だったのだろう」と説明したら母親は非常に納得して「心配ないんだ。サリワセだけでいいんだ。じゃあムヒもいらない。」と。
プロブレムは「子供の足の皮剥け」ではなく、「治療に対する母親の不信・不満・不安」。

チューター:旧来の服薬指導では解決できない問題ですね。

参加者A:服薬ケアを勉強する、すなわち自分を高める努力をするという事に気が付いた。

チューター:イコールだと言うことに気づいたわけですね。

参加者A:うまく薬歴を書けるようになりたくて服薬ケアを勉強しはじめた。ところが、そうではなくて、その為には自分がいくつもステップを越えなければ。結果、書き方はその都度習得できる。その前に患者さんとどう関わっていくか、関わった以上は頼りにされたい、喜んでもらいたい。それが薬剤師では?

チューター:服薬ケアを学ぶ事は自分を高める事だと気付いた、そのきっかけは何だったのか?

参加者APOSをやらなきゃ。その為には患者さんを見る、診るではなく目で見る。でも習慣がなかった。処方せんと薬をみて、カウンターで患者さんを見なくても仕事が出来るくらい。そのかわり早い。
でも、それとは逆で患者さんを見ないと。見て解釈しないと。そのためには自分の持っている道具が足りない。相手のことが理解してあげられないことに気づいた。

チューター:その後、どうした?考えなければ、解釈しいなけれな。得られた情報をどう解釈する?

参加者A:患者さんと相談しあっている。

チューター:答えを出してあげるのではなく、相談しあっている。自分が答えを提示するとは限らないというわけね。

参加者A:「僕、分からない。どうしようか?」そうすると患者さん「こうしたい、ああしたい」と言ってくれる事がある。そうすると、「ああ、そうなんだ。こうしよう。」一方的な服薬指導ではありえない

参加者B:それは既に患者さんを導いている。禅問答で自分で答を出させているのと同じ。患者さんの教育でもある

チューター:流行の言葉で言うと、「コーチング」ですね。
それは素直に、多分本当に分からない、素直にどうしよう?と。でも、そのとき薬剤師だからとエラそうになんか言わなきゃといい加減なことを言うのではなく「わかんない」と言ってしまうことが大事なのでしょう。

参加者A:手ごたえとして、患者さんとの距離が一気に近くなることがある。うまくいかないこともあるけど。

参加者B:「わかんないときは次の宿題で。そうすると次にくる楽しみ、期待感も持たせられる。そのときになんか努力のかけらがあればうれしいでしょうね。そのうちに患者さん自身で「こうしたい」が出てくるかもしれないし。

参加者D:服薬ケアに出会う前は愛想の悪い患者さんなど苦手意識のある人はブロッキング。うまく対応できない。しゃべってくれない。「早くしてくれ」と帰ってしまう。でも、服薬ケアを学んで、気持ちだけでいつも「何かお役に立てれば」「よく我々の薬局に来てくださいました」という気持ちで迎え「何かあったらご相談くださいね」と送り出すようにと考えを切り替えた。何かあれば話を聞いていこう。受け入れる準備をして対応する。そうしないと患者さんの心に響かない、信用されて初めて次のケアのステップに進める。と考えを変えた。
そしてそれを「ちゃんと真剣に話を聴こう。もし何かあれば、話を聴いていこう」という姿勢で取り組んで、話をしていくと、患者さんが指名して下さる。

チューター:ブロッキングしたらその後の展開はあり得ない。それどころか来なくなってしまうかも。でもそれがつながって受け入れられると指名されるようになる。

参加者A:ブロッキングは簡単。逆のことはエネルギーがいる。

参加者B:人間として相性が合わない患者さんがいる。でもはなから「ブロッキングはいけない」と思わないように。「ブロッキングしないように笑顔作ってみました」としてもすぐに相手にすぐには伝わらない。人間そんなに変らない。自分だってすぐには変れない。でもその上で自分を変えていく努力をする。服薬ケア勉強したから「明日から薬歴うまく書けるようになる、服薬指導が上手になる」ことはない。じっくり自分自身を高めるつもりで自分の社会性、人間性を高める。それが薬剤師道。自分の生きる道。患者さんに対してやりたい事をするには気持ちのつくりが必要、円熟してきたら自分の人生も幸せになれる。「なんとかしよう」と思う事が大事。



薬剤師指名制
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チューター:指名制、究極的にはそっちの方向にいくのではないかと思っていますが。

参加者D:患者さんは病院かかるときは病院じゃなくて医師。それと同じで「かかりつけ薬剤師」という言葉も出てきたが、今後は「あの薬剤師に私は見て欲しい」と患者さんが選ぶようになるだろう。

チューター:今それが出来ない理由は?何がクリアできたら踏み切れる?

参加者B:そういう風にやりたい、なりたいという気持ちが薬剤師一人一人に中で強くなってくれば出来るだろうし、患者さんからの評価が自分の評価なんだと考えるようになれば、恐れずぜひやってみようという、一歩踏み出す優位を持てば出来ると思う



服薬ケアの失敗例
文書先頭


参加者A:血圧治療のおじいちゃん、その方とは非常に良い関係だった。薬が変わって飲み方が変わったら分からなくなって面倒になってイヤになって飲まなくなってしまった。飲んでないことをDr知らないからアダラートCRが増えてしまった。そのときのプロブレムは薬を飲むことが嫌になったこと。
「薬飲まないから薬増えちゃったでしょ。ちゃんと飲めば減ったかもしれないのに増えちゃったじゃない。」と言う話を懇々として「じゃあ今度はちゃんと飲んでみましょう」と言う話をした。
次に来た時、「薬剤師さん、この薬グレープフルーツと一緒に飲んじゃいけない薬なんだろ?それ教えてくれなかったからグレープフルーツを箱で買っちゃったじゃない。何で教えてくれなかったんだ?」勿論、薬情は渡したけど、確かに言ってない。その患者さん、それから来なくなってしまった。
その人の本来のプロブレムと触ってあげなければならなかったプロブレムが大きく違っていたのだが、それが旧来の服薬指導であるならばグレープフルーツと一緒に飲んではいけません、と言っていた。

チューター:それ、Bさん、どうしましょう?

参加者B:その場で出来たかどうかは分からないけど「ごめんね、だけどなぜあえて言わなかったか分かる?だって、先ずは飲んでもらわないと血圧上がってたじゃない。確かにグレープフルーツと一緒はいけない。でもそれは二の次。それよりも先ず血圧下げないといけないから、余計な不安を与えないためにあえて言わなかったんだよ。でも、オレが悪かった。勘弁してくれ。」って言ってみるかな。

参加者A:心に余裕がなかったのと「だって問題はそうじゃなかったじゃない」という気持ちと。謝ったんだけど、「この人だから許してくれるかもしれない」という謝り方だったかもしれない。

参加者B:でも、現場ではAさんの仰るとおり。Aさんって、素直ですね。

参加者A:ものすごく悔いている。失ったものが大きな、と。

チューター:気になっている。なんでそれが後悔しているかっていうと、多分それは今のAさんなら出来るから。今も出来ないなら「どうせできないよ」って悔いないだろう。

参加者E:薬剤師だから、というより一人の社会人として謝るしかないかな、と思う。

参加者B:それは既に薬剤師として腹括っていることで大事なことです。

参加者F:クレームはまずしっかり受け止める。その上で心底謝罪する。そうしないと相手には伝わらない。

参加者A:処方が変わったときに一言「グレープフルーツと言っておくべきだったのか、今も答えが出せずにいる。

チューター:「こんなつもりじゃなかったんだよ、こういう理由があったんだよ」というところに患者さんが「あ、そうだったのか」と思ってもらえればOKでしょう。

参加者B:ところで、そこまで関係構築した患者さんがグレープフルーツだけで来なくなってしまったのだろうか?他になにかグレープフルーツ以外の理由があったのかもしれない。

チューター:その患者さんに、今からお詫びしようと思っても出来ないので、違う患者さんに対して、そういう悔いの残る対応はしないという気持ちは、そのとき満足してもらえなかった患者さんに対する、お返しのような気持ちでは?

参加者C:1ヶ月、2ヶ月来ないことに本当に気になったら、手紙か何か出すかも。その後どうですかって。

チューター:今だったら同じ場面ではきっと難なくこなせるから「あれができなかったよなー」って思い出しているのでは?

参加者A:過去の自分の失敗を、「服薬ケア」で分析をしたんだ。

チューター:自分自身の認識力のアップした部分を、自分でちゃんと、確かめる事が出来るって、すごくいいことですね。


自分と向き合う
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参加者A:服薬ケアをかじり始めた途端に「これじゃダメなんだ」と自分と向き合う。俺はこうだからこうならないといけない。そしてもうちょっと勉強するとこうならないといけない薬剤師像がどんどん素晴らしいものが出来てくる。で、自分を見たときにあまりにかけ離れた自分の姿で、うんとイヤになる。これじゃダメだ、こんな人が一人前の顔をして患者さんと話をしていてもいいのだろうか?と思いながら仕事をするようになって滅滅になる。

チューター:でも、それは正しい。正しく進んでいるから遠くなる。それが近づいてくる人は思い上がっている人。普通遠くなる。最初のうちはすぐそこにあるのに、気がつくとどんどん見えないくらい遠くに行ってしまう。ど〜しよう。。。これは正しい展開。

参加者F:何か悪いことがあったら、その悪いことが今オレを育ててくれているな、とそのくらいの感じ。勿論落ち込みますけど、その落ち込みから乗り越えるから「あ、また一回りデカくなっちゃう?」という感じ。

参加者D:落ち込むとずっと落ち込んだままの性格なので、こういう場で皆さんが頑張っている姿がエネルギーになって「また頑張ろう」という気持ちになれる。外に出て研究会の仲間と話しをしたい、と言うのも今後の研究会への期待。


研究会への期待
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参加者AMLも良いし、セミナーも良いが、このようにざっくばらんに話せる機会があれば社会性が出てくるのではと思う。

参加者F:こういう思いの薬剤師が増えて欲しい。そういうのが標準化、当たり前になって欲しい。学校自体が変わっていて医療人をそだてる、仕事の素晴らしさときつさと責任の重さを分かって欲しい。

参加者E:社会性で言えば、服薬にかかわる、薬剤師以外のco-medicalの方々にも「薬のことはこの研究会に聞いてみよう」と思って参加してもらえるような研究会にしたい。患者さんの意見も聞いて薬剤師のひとりよがりにならないように。薬識をケアするのに知識も必要なので知識の共有もできるといいな、と。

参加者B:ライセンスといのは最低限どこを調べたらいいかが分かるための資格。基礎的な知識は自分で得る手段は持っているのがライセンス保持者。症例、実際に患者さんが使ってどうなったかとか、どういう対処を薬剤師としてしたかという、基礎的な知識ではどうしようもないことを皆で持ち寄るといいデータベースになっていい経験値になる。基礎的な勉強は個でやるしかない。

チューター:基礎的な知識にプラス正しさの価値観を提示したい。「薬がある。こういう使い方がある。でも実際はその使い方から逸脱していたりする。薬学的な正しい知識はこうだ。かつ服薬ケアを学ぶものはこの薬はこう使って欲しい、こうは使って欲しくない。なぜならば〜」というデータ、そういうものを出して行きたい。
もうちょっと大きくなったら学会化をしたい。そこでやりたいのは、突き詰めると「薬剤師道」薬剤師のあるべき姿を皆でどう語っていこうか、語るだけでなくどう勉強していこうか。その中の答えは世の中の薬剤師皆が欲しいと思っていること、知りたいと思っていることをこの場で語ってほしい。それをスタンダードにしたい

参加者E:MLでは今みたいな座談会は難しいと思うが、色んな地域の方の声を聴いてみたい、いろんな方とお話してみたい。

参加者B:チャットにするか。

参加者E:誰もパソコンから離れられなくなる。

チューター:この時間になると、全国の薬局が、電話かけても出ない・・・(笑)。

参加者F:普段はメーリングリストだけですが、生で合うのはいいな。

参加者D:研究会で薬学部へ広げて行きたい。

参加者C:分からないこと、知りたいことあればどんどん参加してください。

参加者B:精神論も大事だけど実症例も示していく。症例検討会を集まってやる。模擬症例だけでなく本物持ち寄りもいいな、と。

チューター:地域で5,6人のような小規模な集まりで症例持ち寄って徹底的に話しあう。是非やりたい。会全体でも実症例に基づく話題の提供をメインに。実症例持ち寄って分析して現場にもって帰れば自分の知識として使える。知識の集積をシステマチックにknowledge managementして、パスなどでそろえるのではなく。

参加者B:服薬ケアが一人一人の中に出来上がってしまうとそれでパスは要らなくなってしまう。アセスメントやプランが多少違っても同じ方向を向く。

参加者A:例えば小児科領域で薬を飲まない子供がいる、どうやったら薬を飲ませられるだろう?工夫している人は沢山いる。研究会では子供に薬を飲ませる、とは見ないで「子供に薬を飲ませるのが苦手な母親がいる」と着目しレクチャーしたり構築してく、紹介していく。

チューター:まさしく服薬ケアの本質ですよ。実例集が沢山集まったときにそれを統一するのが精神論、そこで初めて生きてくる。実際の問題が解決できない精神論は意味が無い。経験つむだけではなくそこに理論と精神論をくっつける。「なぜなの?」をちゃんとくっつけて。それをスタンダードにしたいそんな世の中に是非したいですね。

どうもありがとうございました。

 

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